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父の思い出

 宇部で漁師をしていた父と母が帰ってきたのは、わたしが小学5年生のときでした。帰ってきてすぐに、NHKの『明るい農村』の出演依頼が来ました。夫婦乗りの漁師一家の暮らしを取材。家族全員が食卓を囲む風景、夫婦でお宮にお参りする姿、漁に出る姿を撮る予定でした。父や母が出るのはいいけど、私はいやだなあ、と思い、夕方近くまで遊んで遅くに家に帰りました。もう撮影は済んだかな?と家に入ると、待ってましたとばかりスタッフが出迎えてくれ、さぁさぁここへすわって晩御飯を食べてください、と。
 仕方なく出た『明るい農村』でしたが、意外とテレビで自分たちの様子を見るのは面映くうれしかった記憶があります。

 6年生のとき、セールスマンが本を売りに来たことがあります。
『本は学校に読まれんくらいいっぱいある。家には要らん!』
と追い帰す父でした。
 靴が古くなったから買って!と頼むと、
『おまえにはちゃんと本皮で足を作ってやっとる。少々破けても歩かれる!』
と却下。
 冷や飯は食べたくない、と気ままを言うと、
『食べるときは冷くても、出るときは湯気がたつ!』
 わかりますか? 口から入って、どこから出ます?

 中学になって、試験前に家で勉強していると、父にひどく怒られました。
『試験の前に寝られんような者に、ええ点は取れん!』
 そんな父でした。

 中学のときの担任は父の戦友でした。担任の国語の授業では一日に一度は必ず戦争に行ったときの話が出て、それも同じ話の繰り返しだったのでみんなうんざりして聞いていたものです。
 個人懇談があるから学校に来るよう親に通知があったとき、
『うちからはいうことは何もない、そっちがあるならうちへ来い』
と父は担任の先生をうちへ招待しました。私の話はそっちのけで、二人は酒を酌み交わし、遅くまで盛り上がっていました。先生は戦地で、父が靴の底に隠し持っていた米を分けてもらったのが忘れられないと何かにつけ言っていました。わたしが受験勉強をしている窓の外を通りかかった先生は、
『たえちゃん、えっと勉強するなよ』
と先生らしからぬ声をかけて通り過ぎるのでした。

 父がいつも自慢にしていたのは、棋士の舛田幸三さんとも戦地で一緒だったと言うことでした。
『わしは舛田さんのひげを剃ってやったんじゃ』
とTVで舛田さんを見るたびに言っていました。
 今になってそれを思い出して、舛田さんのことを調べてみると、同じ広島県の三次市の出身でした。舛田さんの有名な語録の中に父の口癖を見つけました。
 父は独り言のようにその言葉をつぶやいていました。戦友が有名な棋士、その棋士のひげを剃ったことがあると誇らしく言う父。
『錯覚いけない。よく見るよろし』




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《どうにかなる!》で いろんな坂道を歩いてきました
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