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母が重くなる

 母に痴呆が始まった頃、私の職場は家からバイクで15分ほどの距離にあった。 昼休憩になると電話がかかるようになったきた。内容はいつも、仏様に飾る花を買ってきてくれとか、レンコンを買ってきてくれとか、そんな買いものを依頼するものだった。わたしは昼ご飯を大急ぎで済ませると、毎日のように買いものに走り回った。
 
 仕事帰りに母の家に寄り頼まれたものを渡すと、いつもといっていいくらい、もういらないからあんたが持って帰り、と言った。
 長靴がないから畑へ行かれない、すぐ買ってきてくれ、と言われ、町外のホームセンターまで走り買って持っていくと、いらないからあんたが履き。
 こんな調子で、まさしくわたしは母に振り回されていた。母は私に用事を言いつけることでわたしを呼び出していた。わたしに会いたかっただけなのだ。

  私は自分の家のことはほったらかして、母の家にほとんど居づっぱりだった。母はもう自分のことしか考えていなかった。母にしてみれば、まだまだわたしにかまって欲しかったのだ。
 
 母が元気な頃は、心配しすぎるくらいわたしのことを心配していた。いつだったか、母が泣きながらわたしに電話してきたことがあった。
 「お母さんはおまえがかわいそうでいけん。おまえはパーマをかけるお金もないんか?お金をあげるからパーマをかけなさい」と言って泣いている。わたしがパーマをかけないことをお金がないからかけないのだ、不憫でたまらないと言っている。わたしはただかけないのが好きだからかけないだけで、髪に金をかけてないことはない。母の年代にはストレートヘアが考えられないのだ。

 生活費が足りない時はいつでも言いなさい、お母さんが貸してあげる、というのが母の口癖だった。

 母の家に行くと、いつも野菜を持って帰れとか、魚を買ってあげたから持って帰れとか、自分はつつましく生活して、わたしには何やかやと買ってくれていた。
 
 わたしに孫ができた頃から、母にすれば孫にわたしを取られてしまった気持ちになったようだった。
「おまえはわたしより孫の方がええんじゃなあ」と、孫に嫉妬するようになった。
 孫に娘を取られ、自分は誰にも構ってもらえないという気持ちも母の痴呆を早めた一因のように思う。

 わからないことを言って困らせる母を見ているのはつらい。
「わたしにじゃってつらいことがあるんよ。お母さんに聞いてもらいたいこともあるのに、お母さんはもうわたしの話を聞いてくれんようになってしもうたんな?」
 なにもわからずきょとんとわたしを見る母の前で、わたしは泣きながら訴えていた。

 このころからわたしは高血圧症になり、不整脈も始まり、母を見ながらできる仕事をしようと思いその仕事をやめた。
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《どうにかなる!》で いろんな坂道を歩いてきました
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