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いくつになっても親は親

 49日の法要を過ぎたころ、親友のS子から電話がありました。
『最後におばちゃんに会ったのは、お墓参りに行ったときよ』
とS子は言いました。

 S子はわたしより1歳年上です。子供のころ腎臓を患って長く入院していたので、1年遅れで中学に入学し、わたしと同級生になったのです。
 きれいでどことなく大人で、冷めたところのある人でした。
 中学時代の私は勉強一筋で、融通の聞かないいやなヤツでした。授業中騒ぐ子には、『勉強の邪魔だから静かにしてください!』なんて言ういやなヤツ。
 そのころの担任の先生から、
『お前は切れ物に例えたらカミソリだ。いかによく切れても使い道は少ない。鉈になれ!』
と言われていました。
 国語の授業で、人はそれぞれで、容姿ひとつとってもいろいろな人がいる・・・とか何とか。思春期真っ盛りで自分の容姿にコンプレックスを持っていた私は自分のことを言われたようで、ノートの端っこに、
『なんでみんな私のほうを見るの? もう死にたい』
と書いていました。それを見たS子がよこしたメモには、
『死にたい人は死ねばいい。生きたくても死んでいく人もいることを考えて』
と書いてありました。長く患ったS子の重い言葉でした。
 それからS子との付き合いが始まりました。

 家も近くだったので、ほとんど年中一緒にいました。高校が違っても休みの日には一緒にレコードを聞きながらおしゃべりはつきませんでした。
 そんな私たちを見て、母は、
『骨がなかったら一緒になろうか、というくらい仲がいいなあ』
と笑っていました。

 S子が最後に母と会った時に、母が、
『Sちゃん、たえこは一人娘じゃけぇ、話し相手がおらん。たえこのことを頼むでぇ』
と言ったのだそうです。もう10年位前のことでしょうか?

 母は、誰に会っても必ず私のことを頼む人でした。
『この子を頼みますでぇ』
といつも言っていました。

 ショートステイを利用するようになったころ、しごとがえりに私が母の部屋を覗くと、
『早う、いにない。暗い道を歩いたらいけんでぇ。電気の下を歩きない』
と、一体わたしをいくつだと思っていたのでしょうか?

 いくつになっても母にとって私は子供だったのですね。

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《どうにかなる!》で いろんな坂道を歩いてきました
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