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『川の流れのように』を聞きながら 母の人生を思う①

  母は9人兄弟の下から2番目。小さい頃から体が小さく、学校で先生に指されるといつも泣いてしまうような内気な女の子だった。
 娘時代は戦時中で、徴用で借り出される時には体の大きい妹が母の代わりに行かされた。妹は恋愛中で、母はいつも「姉さん、はよう嫁に行きない」とせっつかれていたようだ。それですぐ近所、歩いて1分もかからない父のところへ嫁いだのだ。母に、何でお父さんとこへ嫁に来たん?と聞いたことがある。母は、戦争が終わったばかりで、まだ戦地から帰ってきてない人も多く、近所にはお父さんしかいなかったから、と笑いながら教えてくれた。

 父の家には、大舅、大姑、舅、姑、小姑まで同居だった。父の兄弟は男ばかりの3人兄弟だった。弟達のお嫁さんは二人ともしっかりして手早い人だった。山へ木の葉をなでにいくのが3人の嫁の仕事だった。下の二人はじょうずに木の葉を束にしたが、不器用な母はうまく束に出来なかったので、いつも二人が山を降りた後、一人不恰好な木の葉の束を背負って山を降りた。
 おとなしい母は姑にいじめられると、やたらに実家に泣いて帰っていたようだった。その母を迎えに来るのはいつも舅で、実家の門の外から大声で、
「かーちゃん、戻ってきてくれえ、わしはおまえがついでくれたご飯がいちばんうまいどぉ」
 そして母は舅に連れなわれて家に戻った。納戸の奥でもよく泣いていたと言う。
「かーちゃん、おまえはどうしょうるんない?出てこ~い。納戸の奥は泣くとこじゃないどぉ、子供を産むとこどぉ」
 舅の声で母は納戸の奥から顔を出した。

 最初の子供が3歳で溺れて死んだ時、蘇生を計る為に火で冷たくなった娘を炙るのを見て母は狂ったように泣いたと言った。
 母は嫁いで8年間に5人の子供を産んだ。この近所で大きい腹をしとるにはいつも○○屋の嫁じゃ、と言われたのが悔しくて、「おまえと こまいあんやんの間は3年空いとろうが」と母は誇らしげに言った。

 母は父と共に宇部で10年間くらい暮らした。父は船方を雇い漁に出ていた。母は留守を守り子供を育て、父が捕ってきた魚を海岸端のガンゲに並べて売った。
 私達子供もだが、母にとっても一番幸せなときだったと思う。

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