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昭和38年1月1日

akiyoshidais.jpg


 写真の裏にはそう書かれてあった。父41歳、母38歳、兄14歳、13歳、私9歳、弟7歳。家族6人が揃って写っている写真。

 小学校に入学すると、わたしたち兄弟は両親と離れ祖父母の元で暮らした。夏休み、冬休みになると兄が宇部へ連れて行ってくれるのだ。汽車賃は兄が持ったが、「まさかの時には、これを出すように」と、祖母はわたしのスカートのポケットの裏に何枚かの札を縫い付けた。尾道までは祖父が船で連れて行ってくれた。尾道から汽車に乗り、小郡で乗り換え、琴芝駅で降りた。駅までは父か母が迎えにきてくれていたが、迷子になった時のために「宇部市東区海岸通3丁目」をわたしたちは繰り返し暗唱していたものだ。

 夏休みに行くと、母は近所の洋裁のできる人に頼んでわたしのワンピースを何枚かいつも用意してくれていた。親と離れて暮らす寂しさはあまり記憶にない。それより、父や母と会える休みの楽しみの方がはるかに大きかったのだろう。

 近所には同じ漁師仲間がたくさんいた。母たちが、集まって「ギョウザ」や「ソラマメの羊羹」を作っていた記憶がある。「ヒタメ」に付いたご飯粒を水でさらし、乾かした後フライパンでからいりして砂糖をまぶしたおやつを、母はよく作ってくれた。貧しかったはずなのに、満たされていた。

 休みに宇部へ行くと、父はいろいろなところへわたしたちを連れて行ってくれた。「常盤公園の噴水」「下関の水族館のいるか」「カンガルーのボクシング」「若戸大橋」「秋芳洞」そして「秋吉台」。
 秋吉台には馬がいて、兄や弟たちは乗ったのに父はわたしには乗せてくれなかった。父はいつも、女は船に乗ってはいけないとか、女は酒を飲んではいけないとか、馬に乗ってはいけない、あんまり偉くなってもいけないとわたしに言った。
 
 10年前に宇部に行き、昔住んでいた家の近所に行ってみた。大きいと思っていた「地主」というお店は驚くほど小さく、船着場のガンゲも小さかった。
 家に続く路地も狭く、何もかもが小さかった。それほどわたしたちが小さかったということなのだ。

 父は29年前に他界し、母は認知症だ。長兄は徳島に、次兄は妻に先立たれ、弟は離婚した後何年も音沙汰がない。

 あの頃はよかったなあ、としみじみと写真を眺める私も、もう50を過ぎた。
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