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とうもろこし

 母は菜園でジャガイモ・たまねぎ・白菜・夏野菜を作っていた。トマトはあまり形のいいものは取れなかった。母が作る野菜の中で一番人気はモチトウモロコシ。紫色のとうもろこしで、ちょうど頃合に収穫するとうっすら紫がかってゆでるともちもちしておいしかった。

 うちの子たちのために作っていると言ってもいいくらい、とうもろこしができるとうちへどっさり持ってきてくれた。うちへ持ってくるついでに本家へも持って行った事があって、声をかけて勝手口に置いたら、舅爺さんが、
『ここへこんなものを置いて、ごみが出る!』
 まだ母がそこにいるのに、とうもろこしを裏の草の中へ放り投げた。きれい好きな舅じいにはとうもろこしのひげが許せなかったのだ。それでも、まだ母がそこにいる間に放り投げなくてもいいものを、
『あ~、本家には二度と物を持ってこん!』
と母は憤慨していた。

 ジャガイモを作るのも上手で、収穫して家に持って帰る途中、近所の人に、
『おばさん、ええジャガイモじゃなあ、ちょっとちょうだい』
と言われると、母は小さいジャガイモをあげた。大きい、いいジャガイモは娘とこへ持って行くからやられん、と母が言ったそうで、いまだに近所の人から思い出話を聞かされる。

 あッ、今、大人用のかつらのセールスさんが来ました。母が生きていたらきっと買っていたでしょうね。

 
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ヤスコおばさん

 父の末弟の嫁、ヤスコおばさんが亡くなった。享年82歳。母と同じように認知症となり施設に入所、昨年胃婁に、そして高熱が続き逝去となった。母と全く同じ。

 性格は母とは真反対でちゃきちゃきして、高齢になってもバイクでぶっ飛ばすような元気なおばさんだった。宇部にいるころには叔父の家に間借りしていたし、帰ってきてからも隣同士、何かにつけ母を助けてくれた。姑のそばにいるということで、母の愚痴は叔母の愚痴でもあった。

 姑の最後も母と叔母が看取った。前にも書いたが、姑の下の世話をしながら、
『ねえさん、自分に乗さわっとる(これがさだめ、姑を看るのが自分の運命なら)と思うたら、姑の便も臭いくないのぉ』
と叔母が言い、母も同じように頷いた。それでも、姑が死んだら餅をつこうと二人は話していたのだった。逃れられないなら尽くそうと二人でいつも話していた。
 叔母がいたから母も辛抱が出来たと思う。

 叔母は洋裁が上手で、わたしより4歳下の娘ミッコはいつも叔母さん手製の服を着ていた。ミッコが何歳だったのかなあ、私はミッコを自転車の後ろに乗せて走っていた。子供のころには隣の島とは跳ね橋で繋がっていた。船が通るたびに橋は上がりなかなか風情のある橋だった。その板張りの跳ね橋を自転車で通るとき転んでしまって、ミッコが着ていたジャンパースカートのポケットが破れてしまった。紺色のビロードで叔母さん手製だった。わたしの所為でスカートが敗れてしまって、叔母さんにしかられるだろうなと心配しながら帰ったが、おばさんは一言も叱らず、
『よっしゃ、よっしゃ、ちゃんと直してやる』
と笑った。そのことを昨夜ミッコに言うと、ミッコもそのスカートのことは覚えていた。

 身内の中でただ一人わたしのことを『たっこちゃん』と呼んでくれた叔母。
 町民運動会の徒競走で、スカートの裾をめくり上げて走る叔母。
 パンチパーマで、『あっはっは~!』と笑う叔母。
 わたしのバイクを追い越そうとスピードを上げたけど追い抜けなかったと笑う叔母。
 老人ホームでわたしが声をかけると、認知が進んでいた叔母は怪訝そうにわたしを見て、『わたしゃあ、この人知っとる。わたしゃあ、この人好きでぇ』と言ってくれた叔母。

 おばさんは走り抜けて行ったなぁ。

 天国で、『ねえさん、来たでぇ』と二人で笑いあっているような気がする。


 
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ゆいかばあば

Author:ゆいかばあば
《どうにかなる!》で いろんな坂道を歩いてきました
おもしろおかしく 笑って暮らしたいと思っています



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